アウトドアとサバイバルの境界線

どうも。豊です。

今回は時々質問をうける、「アウトドアとサバイバルの違いってなんですか?」ということについての回答をしてみたいと思います。

シンプルな結論からすると、「生命の維持」を自身の力で行うか否か、という違いということができます。


「生命の維持」とは何か。

生命の維持、といっても、現代人にとっては一生のうちに一度も経験しない人がほとんどであり、「生命」それ事態を自身の力だけで維持することがまずないので、ピンとこないでしょう。

生命というのは、最低限3つのことで維持されています。

  • 体温の確保(できない場合は冬眠、世代交代など)
  • 水の確保
  • 食料の確保

この3つになります。この地球上においては、とにかくこの3つを継続的に確保できることが生命力であり、全ての動物に対して同等に存在している条件です。これらの確保のための手段は自由で、種ごと個体ごとにさまざまな手段を取っていますが、この3つを確保せず活動する動物は存在しません。


体温の確保

体温が奪われ続ける状態になると、人間は平均3時間ほどで再起不能の状態に陥ります。これから体温を確保するために人間はどのようなことをしなければならないでしょうか。

体に近いところからみてみると、人間にはまず体温を確保するための毛皮はありません。だから体温の確保をするためにはまず「衣服」を着る必要があります。ですが、それを自身で作ることはなく、それが故障(破れほつれなど)を自身で修理することも大抵できませんから、「文明の利器」として「アパレル業者」と「ファクトリーメイドの材料」が無いと一番基本的な「体温の維持」を継続的にできないわけです。

次に体温の維持に重要になるのは、雨や風をしのぐこと。つまり、体温の維持のために衣服の他に人間が利用するのは「住居」になります。この住居に関しても、自身で作ることは基本なく、「文明の利器」として「建築業者」と「ファクトリーメイドの材料」がないと住居を建てることすらできません。

つまり人間というのは、ただ自分の体温を維持するだけでも「文明の利器」に依存した形で現代人は生きているわけです。


水、食料の確保

水分を全く得られない状態になると、人間は平均して3日ほどで再起不能の状態に陥ります。なので、大型の災害等の場合の救援というのは3日(72時間)が一つの基準となるわけです。

さて、この水分を我々現代人はどのように確保しているでしょうか。

まずシンプルに「文明の利器」として「水道」があります。これによって、常に人間社会に対して「そのまま飲める水」が提供されています。また、コンビニやスーパー、ドラッグストアなどに行けば必ず「ミネラルウォーター」をはじめ、お茶やコーヒー、ジュースなどの形で水分を入手できます。また、食料からも水分摂取を行っています。

食料については、すぐに食べれる状態で飲食店、コンビニ、弁当惣菜屋等、調理前の状態でスーパー、八百屋肉屋魚屋等で入手しています。

これら全て「文明の利器」であり、「水道」と「物流」がそのベースになっており、現代人は誰一人例外なく、「水道」「物流」に依存していると言えるわけです。


依存と供給

この文明の利器に対しての「依存」をしていることがわかれば、その「供給」が絶たれた途端に我々人間は誰一人例外なく、急速に「生命の危機」が迫ってくることがわかります。

そしてこれら「生命インフラ」とも言えるべき現代人の依存先というのは必ず「経済」をベースに存在しています。つまり、現代人の生命のボトルネックは「経済」となっており、これが停止することは全ての依存への供給が絶たれることを意味するわけです。

さて、

サバイバルというのは、この依存部分の「供給が絶たれた」時点から始まり、いかに自身の「生命を維持するか」つまり、「文明の利器からの依存脱却」をして、自身の体と知恵によって、生命が維持できるタイムリミットを先延ばしにしていく作業になるわけです。

この点、アウトドアというのはあくまでのこの「文明の利器依存」ありきで行う、現代的な一つの娯楽であると言えるわけです。

つまり「アウトドアとサバイバルの違い」というのは、「依存と供給」の有無の部分であり、「生命の維持」を自身の力でするか否か、という違いということができるわけです。



Native Life

自分らしく、安心で安定した暮らしを自らクリエイトできるようになろう。 古の生き方に学び、新しいものを取り入れて、 現代だからできる、自分だけのための生き方。それが「自分ネイティブ」。 そんなネイティブライフを応援するサイトです。

0コメント

  • 1000 / 1000