「かみ」でわかる日本人の仕事と倫理観

どうも。豊です。

「神」という言葉と「上」という言葉、同じ音である事が不思議に思った事はないでしょうか。
私も実はその一人。結構調べました。今回の記事は、これで分かった事をちょっとご紹介します。



古来の意味は大和言葉で知る事が出来る

まず一つ大事なこととして、「音」が同じだと元の「意味」も同じだ、という事。
日本語はもともと文字がなく「音」だけの「大和言葉」というのが元になっていて、それに後から漢字をつけて複雑な表現を可能にしていった経緯があります。
現代の日本人は「漢字」を覚えて、それに対する「読み」としての「音」を覚えていきますが、実際は逆なんですね。
「音」に対して「漢字」が複数付いたのが日本語なんです。
この事から考えると、「神」と「上」は古来は同じ意味であった、と捉える事が出来るわけです。


何故「同じ」なのか。これは「この国の所有者」を知るとわかる

仕事で言うと「上司」には「上」がついていて、食事などの席は「上座」に座るのがマナーとされています。「偉い人」は「上」というのは現代でもそうですが、実際は「神」とまでは言えませんよね。

では何故、この「上」と「神」が古来は同じ意味なのか。

これをより理解するのに、まずこの国で一番偉い人を考えてみましょう。一番偉い人と言うのは、現代風に言えば、「この国の所有者」となるでしょう。よって、これが誰なのか。これを知ることは重要になるわけです。


アメリカであれば事実上「大統領」になりますし、イギリスなどの王国は「王」が所有しています。
では日本は、というと、総理大臣はあくまでも大臣であってただの役職で、天皇は「国民の象徴?」のような位置づけなので、「所有者」というのは存在しないように思われます。

これの答えは日本最古の公文書である日本書紀と古事記にあります。

古事記や日本書紀というのは、ただの神話というだけではなく、国の生まれの神話から人の生まれ、その神々から「天皇家の話」までが書かれています。つまり、見方を変えれば天皇は「国をつくった神のその子孫である」との証明書という意味があります。

これを公文書として作る事によって、この国の「天子」は「天皇家」である事を証明しているわけです。


もう少し具体的にいえば、この国の所有者は「天照大神」つまり神様が所有者であり、天皇(家)は天照大神の「代理人」を務める正当な家系であるとされています。そして、実務は「議会」でおこないますよ、という意味が含まれています。現在ではこれを「内閣」がやっているという形なんです。

この形に則って、この国は2600年運営されてきたわけです。

まず「天皇」が「民の平和、幸せ」を願うので、「議会」はどうすれば民は平和で幸せに暮らせるかを考え話し合います。

そこで決まった内容を、その配下に「命」として下し、その配下は役割分担をして「事業」を行い、そのさらに役割分担をしたのが「仕事」になり、そのさらに役割分担したものが「作業」になります。

簡単に言えば、我々一般人がやっているのは、「作業」であり、それは「仕事」の一部であり、それは世のため人のための「事業」の一部であり、その事業の結果、所有者の代理人が願う「民の平和と幸せ」を作ろうとする試み、と言うふうに捉えることができるわけですね。

つまりこの時の上司というのは、そもそもは「その組織の中で一番神に近い人」になるため、食事の席などでは、「神の代理」として「上座」に座るわけです。

このように捉えて考えてみると、「上」と「神」が同じ意味になる、と言うことが理解できるのではないでしょうか。


偉い人は「神の代理」としての自覚が必要だった

この考え方は非常に優秀であり、民は、一つ一つの作業が「(きっと)これはみんなの幸せを作っているのだ」という「誇り」を持てるわけで、上司はそのまま遡っていくと「神」に繋がっていることから、民一人一人も「神に使えている」ことになります。

そして上司は、人の上に立つということが「神の代理」として恥ずかしくない人間でなければなりませんから、皆が「誇れる」人間がそのものたちの「上」に立っていたわけで、「自分のエゴ」のために「陰謀」などをどれだけ使ったところでなれるものではなく、そのようなものは逆に下にみられていたわけです。

つまり大きな倫理として、「民の平和と幸せ」を願い、そして「神に恥じない人間」である人が「偉かった」わけです。

そしてそれに逆行するのは、倫理に反する事だったわけですね。


ただ現代は、敗戦後から続く、数百年前に生まれた「民主主義」と「資本主義」の影響で、この2600年以上続いてきた倫理観は大きく崩れています。

現代偉いのは「カネを持っているもの」であって、「民の平和と幸せ」よりも「自身の幸せ」を追い求めることを良しとされています。

つまり、「神」と「金」が同じ意味になってしまっているわけです。

なので、「上」にいくほどに「神」からは遠のき「金」が増えます。「陰謀」などのきな臭い状態になっており、みな欲に任せて「神」を踏みつけてでも「金」に執着し、それができるものが「偉く」なってしまっている、というなんとも言えない状態になっていると言えるわけです。


古来の日本人の倫理観を取り戻そう

実際のところ、そもそも日本は議会制であって、王政でもありませんし、「神の代理」が「民の平和と幸せ」を願っている以上、「民」が中心であるわけです。だから、元々の考え方はほとんど民主主義に近いんです。

ただ違うのは、一番偉い者が「金を持った人」なのか「神」なのかの違いなんですね。

だから「偉い」人がちゃんと「偉かった」わけです。

そしてその結果、2600年もの間、統一国家として平和をもたらしてきたわけです。それがほんの100年の間で急速に崩れてきて、一人一人の心に豊かさが失われ、この国が日本と言えるのかどうなのかさえ、わからないようになってきたのが現代と言えます。

現代人の悩みはほぼ100%人間関係であり、その原因はほぼ100%、この100年に発生している、と言えるほどなんです。詳しい解説は長くなるので今回は割愛しますが。。

ですが、逆に言えば「ほんの少しの違い」だけなので、これはまだまだ取り戻せるということです。


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