答えがない時代になったというより

答えがない時代、というけれど、これは大きな勘違い。

結論から言うと、「答えのある」時代なんて方が無かったのです。

「答えがある時代」は幻想


「〜すれば良い」というのが決まっていたように多くの人が勘違いする時代はあった。でもそれが間違っていたから、「〜すれば良い」と誰も言わなくなっただけ。

バブルとかが良い例でしょう。

間違った方向に突き抜けたから、「それまで答えだと思っていた事」が「間違いだった」という事にようやく気がついただけ。


正解はあるが、答を導けない人々


「答えがあったと思っている時代」は、モノが少ない時代だったから、同じモノをたくさん作ればよく売れた、なんて考えられています。

でも実際には、そこから間違っています。モノは少なくとも足りないわけでは無かったのですから。

なのに、そこをしっかりと見ないうちに「次はこうだ」「次はアレだ」と「どうしたらいいか」の答えを探してやっているから、当たるはずが無いのです。

正解は真逆にあるのだが、誰もそちらを向いていないのですから。

そして、「個性」「自由」「価値観」「多様性」などの言葉で踊らせ「自己責任」なんて言って、大人が発言の責任を負わなくなったのが現代。

みんな真逆に進んでいるので、真逆に進む事の方が「それっぽく」聞こえてしまうし、真逆に進んでいるので、嘘を言って責任を負わない方が、よく売れる。YouTubeなんかもそうですよね。

ちゃんと正解は存在しているのですが、そこを見据えてしっかり責任を持って解説するより、無責任なバズワードを散りばめた方がみんなよく見るし、ワラワラと人も集まる。

このような状態だから、ちゃんと正解の方を向いて、答えを自分で導き出せる人は病気扱い。困った時代ですね。


昔の人々はどうだったか


昔の人々はどうだったかというと、そもそも正解側を向いていないと、大怪我したり死んだりするので、正解側を向いていないと生きていられませんでした。

昔になる程、人間の生命への脅威は沢山ありましたからね。

だから当然、自分で答えを導けない人は、自分で答えを導ける人の言う事を聞くしか生きる術がなかったわけです。

当然生きづらいでしょうが、自分から破滅に向かいたがる人間なのだから、生きられるだけマシだったのではないかと思います。

これは、昔に遡るほど傾向が強くなります。


そして、ほんの数十年前までは、日本であっても「自分で答えを導く」事が出来る人はそこそこたくさんいました。

私の知り合いでも沢山いる。1950年代以前に生まれた人は、それが当然というような常識を持っているように感じます。

彼らが現役の時はまだ出来る人間が偉く、怖かった時代。

ただ、それ以降の年代は急激に薄れ、1980年代以降は比較するとゼロに等しいほどまで低下しているように思います。

この頃何があったかは調べればわかるので割愛します。


答えを導くチカラがない、と自覚しないと、答えを得る事は出来ない


一つ言えるのは、1980年前後以降に生まれているなら、そもそも自身に「答えを導くチカラはない」と考えておいた方がいいということ。

そのような経験をした事がほとんどないはずですからね。

例えば、兄弟が飢えて死にそうだからどうするか考えて行動するとか、無いでしょう。

近所の子どもと一緒に遊ぶ時、オモチャがないから自分で何か考えて作って、遊ばせてあげた、とかも無いでしょう。

人は困らないと考えないし、教えてもらえるならやはり考えない。考えなきゃ答えを導くことなどできないのです。

このような経験を毎日のようにやっていた人たちに比べ、人生で1回あるかないかの人が太刀打ちできるわけがないのですよ。

でも、この自覚があれば、その体験を自分で進んでやる事が出来るとも捉える事ができます。

やってれば、それまで「考える」だと思ってた事は「思い出す」だったと言う事が見えてきますし、

欲しかった「答え」というのは簡単に自分で導く事が出来るのもすぐにわかるもの。そして、そのうち「正解」の方を向く事が出来るようになるわけです。

そして、「答え」をちゃんと自分で導く事が出来るようになれば、「答えが無い」なんてのは当たり前のことだと理解できるのではないかと思います。









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