変化するのは、世界か人か
ネイティブライフ・クリエーター協会の吉川です(*'ω'*)
今回の豊コラムはまさにいま読んでいただきたい内容です!
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「時代は大きく変化の時期を迎えて、、」 なんて話は私もよくするのだけど、話ながらに私としては
実は毎回違和感を覚えている。
この違和感は、全体を木に例えるとわかりやすい。 木には、根、幹、枝、葉がある。 この時、変化しているのは「葉」だけなのだ。 他は実は何百年何千年と大して変わっていない。
もう少し詳しく言うと、木の場合なら、春に葉をつけ始め、秋には落とす。 だが、我々人間は、冬になっても替えるのは服ぐらいで食べ物や生活を何も変えないだろう。葉を落とす事をまずしない。
だから、現代の我々人間は、季節違いの葉をたくさんつけている。 そのうえ、「葉はたくさん付いてる方がいい」とかなんとか煽っては季節もクソも関係なしにさらに葉をどんどんつけていく。
で、必要以上のクソの役にも立たない葉が、いよいよ自分たちのクビを絞め、 死人でもでない限り気がつかない。 気がついたとしても、「葉は悪だ」と
言っては ただワサワサと葉を落とすばかりで、必要な分まで失ってしまう。
仕事で言えば「過労死」のような話なんて正にそうだろう。死人が出て初めて騒いで見るものの、「残業が悪だ」とか アレなら「仕事」そのものが悪だとか言って、ワサワサと、過剰に労働時間の制限をかけてみたわけだ。
働き方改革云々とか思いっきりそれである。 この本質(幹)は、仕事から「意味のない行動」を排除するだけの事だ。
これをせず、仕事そのものを制限してしまえば、また別で自分の首を締めることになる。仕事の無駄をなくし、意味のない行動を減らすことが仕事の質を上げるのだと言うことは何百年、何千年も前から
変わらない事ではなかろうか。
男女関係もそうだろう。
この本質(幹)は、ただ目の前の相手をちゃんと見て
ただ目の前の相手を大切にすればいいだけの話だ。
男はこういうのがいいとか悪いとか、女はこういうのがいいとか悪いとか、言うてる分だけ、目の前の相手が見えなくなる。
アレがいいとかこれはダメだとか、人の言うことばかりを見て 、目の前の「相手」を見ていないから
関係がうまくいくわけないのだ。
枝葉に囚われ、 右往左往しているのが人間だ。
「変化の時期」や「時代の変化」というのは、 余程ひどい状態になるまで、季節違いの葉をつけまくった挙句に、 その葉の全てをふるい落とそうとする、人間のバカな習性が発揮される時、であって、物事の本質や地球や宇宙が、何か変わるわけではない。
私の違和感はここからくる。
これを世界が変わるとか地球や宇宙がどうのとかと言って、実はただ自分たちがワサワサと騒いでるだけなのだと言うことに 、人間は未だ何万年も気が付いていないのだ。
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