思いやりの無いルールは守られない
高速のパーキングで 「禁煙」と書いてあった。
そういえば、東京の街中には 地面にまで「禁煙」と書いてあり、
その近くのビルの隙間を見ると 必ずと言っていいほど、吸い殻が落ちている。
だが、「喫煙所はあちら」と
案内のあるところというのは
吸い殻のある確率は圧倒的に低い。
地域環境を改善しようとするとき
「ゴミ箱」を撤去してしまう行政は 驚くほど多いが、
これが逆効果なのは言うまでもなく
逆にゴミ箱を増やし回収と清掃の頻度を上げると
簡単に環境は改善し、収益も伸びる。
これは、客観視すれば「ゴミ量と消費量は比例する」という
数値を元に算出できるわけだが主観的な見方をすると、
ゴミを手にしてしまった人へ「ゴミを持ち続ける」ストレスを慮っての事。
「思いやり」なのだ。
誰も、ポイ捨てなどの「プチ悪事」は したくないものだ。
だが、悲しいかな、 ゴミ箱が無いところでは 他に選択肢が無い。
灰皿の無いところでは 他に選択肢が無い。
「他に選択肢が無い」から 人は「プチ悪事」をせざるを得ないわけだ。
だから本来、人が「プチ悪事」をしなくて済むように
「他の選択肢を提供する」ことが そもそもの「環境整備」と言えるわけだ。
少し脱線して もう少し突っ込んで本質的な話をすると、
「悪い人」が悪事をするのではない。
「悪事」以外に選択肢がなく追い込まれた時、
誰であっても「悪事」をするのだ。
そしてその「追い込まれた人」を
後から「悪人」と呼んでいるだけなのだ。
「思いやり」の無いルールというのは、
まず守られないと知っておいていい。
誰にとっても不幸なことだ。
だが、「プチ悪事」をしてしまう相手の立場に立った
「思いやり」のある決まり事は 他のメリットを生むことも多く、
論理的に計算だって出来たりする。
誰にとっても幸せな事なのだ。
もし何かあった時は、「禁止」するのは最後の手段で置いておき、
「どんな選択肢」を提供できるか考えてみるように してみるといい。
それがいかなる問題であったとしても、
様々なアイデアが出てくるだろう。
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