防災の基本は「身軽」であること
まず逃げることが大事ではないか?
ものすごくシンプルに言うと、「防災」というのは命の「安全」を確保すればよい。それだけのことなのだ。
津波の場合などはとくに顕著だ。家はおろか持ち物を全て捨てても、家族とバラバラになってでも高台へ「逃げる」必要がある。
私は東日本大震災の直後に福島に行ったのだが、私の知人一家は、一つの車で全員亡くなっていた。状況から考えると、一度旦那さんの方が家に寄って家族を連れて逃げようとしたようだろう。だが、全員バラバラですぐに山側へ走って居れば、全員助かったのだ。ほんの数分、数十メートルの差で亡くなった方は多い。
家族ですら最悪おいていかなければならない時に、「非常用持ち出し袋」やら「防災グッズ」やら、はたして持ち出している暇などあるのだろうか。
何より必要なのは、逃げる「判断」を「鈍らせない」ための備えなのだ。
重い荷物は「重荷」でしかない
そもそも考えてみてほしい。
「非常用持ち出し袋」を持ち出さないといけない状況というのは、どういう状況だろうか。
非常食を食べるタイミングというのはいつなのだろうか。
大きな災害があった際というのは、ある程度の人口のある都市であればまず水の供給が優先され、断水していても72時間以内に給水車など何らかの形で水が供給されている。防災等の意識がまだ低かった阪神大震災では、数日食べ物がない状態を経験した知人もいるが、炊き出しなど何らかの形で食料は手に入る。
震災の時「あったらよかったもの」というのはもちろんある。だが、そうでないものは全て、「あってもしょうがないもの」なのだ。これを持ちすぎると、重くて「逃げられなくなる」から、命を落とすことになる。本末転倒なのだ。
水道が寸断された場合、早くて数週間、平均して3ヶ月ほど復旧に時間がかかっているのだから、当然どれだけ備蓄していたところで、復旧前になくなるのだ。ならば、初めからそんなに大量に準備しなくても良いだろう。
避難所よりも遠い親戚
避難所では、あれがいるこれがいる、などと情報が乱立しているが、阪神大震災も東日本大震災も、被害が大きかったところから、電車で数駅行くと、日頃と何も変わらない「普通」だったのだ。
全国同時多発的に巨大地震が起きた上に北朝鮮から核ミサイルが数発同時に落とされない限り、「被災地」があるそのすぐ外側は「普通」なのだ。
コンビニもファミレスも吉野家もやっている。お金も使えて水も売っている。
つまり、被災地の中の避難所に避難するよりもはるかに、被災地の外に避難する方が安全であり快適になる。つまり、「避難所で必要なもの」を用意するよりも、「遠くに住む親戚(や知人)」のところに逃げれるように用意している方が、はるかに現実的なのだ。
実際、北海道がブラックアウトした際に、隣に住んでいた若い夫婦は、旦那の実家が近くだったが電気もきており被害は全くなかったそうで、さっさとそこに避難していた。家に戻るのは、ちょっとしたものを取りに来るぐらいのもので、実家で風呂にも入れてメシも食えて、「普段よりも楽です〜」と言っていた。
翻って、先日広島の豪雨の際、私の実家が1階の胸の高さあたりまで水没したのだが、私の両親はなかなか避難所にもいかないし、父親はなにかと理由を作っては家や近所の人の様子をみて、犬の餌をやり、瓦礫を片付けたりしていた。
賃貸で、特に思い入れもなく、数年後には引っ越す予定の人たちは、あっという間にその場から避難していたが、
持ち家で、飼い犬がいて、思い出もたくさんあり、地域で役割を担っていると、なかなかその土地からは動けないというわけだ。
「身軽さ」というのはこういうところでもある。
防災を誤解してはいけない
防災、というのは、今広い意味で使われている。
- 自然災害等の災害自体を予防すること
- 災害時の応急対策の準備を予めしておくこと
- 災害からの復旧
主に言われているのはこの3つを「まとめた」ものだ。これで、「防災」対策というと、かなり幅広くなってしまい、よく誤解されている。その結果、なんだかやたらと防災グッズが増えて、言われた通りにやっていると「重く」なり、判断が鈍るようになってしまっている。
だが、私たちが本来やっておくべき防災は、
「災害時の応急対策の準備」であって、過剰になると「命取り」になるのだから、「必要最低限」をどのように自分の生活に実装するかがテーマになるのだ。
「自分自身」もまた防災グッズに成りうる
例えば、ホイッスルというのは、防災グッズで取り上げられるが、実際にアルミ合金製のしっかりしたものは丈夫で良いのだろうが、キーホルダーなどにつけて持ち歩くと、やってみればわかるが非常に「邪魔」だ。そもそもホイッスルが必要になるシーンは、街中では「建物の倒壊」に巻き込まれた際などになるが、その場合可能性としてはその瞬間に死亡する方が高い。そして、生き残っていても「身動きが取れない」から助けを呼びたいわけだが、身動きが取れないのであれば、ホイッスルを「取り出す」こともできないだろう。首から下げておくなら話は別だが、カバンに入れておくなら、使用する確率は宝くじに当たるより低い。無用の長物になるのは目に見えている代物だ。
だがこのとき、「指笛」が吹けたらどうだろう。音量もしっかり出るように「練習」していれば、かなり効果的だと言えるだろう。
これに近いことで言えば、同じシグナリングの道具となる「鏡」がある。これは、ホイッスル以上に使う機会が少ないだろう。山中や無人島などの人がいないところで助けを求める際に必要なので、そもそもそんなところにいかない人はまず必要がない。
だが、持つとした場合、そもそも女性ならだいたい化粧道具に入っているだろう。それを使えば良いわけだ。また男性はほとんど持っていないが、これをわざわざ買って持ち歩くのではなく、「腕時計」を流用すればいい。男性ならだいたい身につけているものだろう。この場合シグナリング自体は鏡より難しくなるが、これも「練習」しておくと、練習していない鏡よりも確実に狙ったところにシグナルが送れるようになる。
このように、そもそも「普段から持ち歩いているもの」を活用できるように「練習」しておくことは、余計な防災グッズを減らしてくれるのに一役買ってくれる。また逆に言えば、全く使ったことのない防災グッズは、いざという時絶対に使えないので、なんにしても「練習」しておくことは重要になる。
バックアップは「しない」方がいい
よく、防災関係の話でライトをたくさん持っていたり、マッチやライターなど同じ用途の様々なものを「予備」として持っている人がいるが、あれはよくない。なぜなら、バックアップというのは「きりがない」上に「つかわない」のだ。
マッチ一箱持っていて、「もし濡れたらどうしよう」といってライターを一つ追加し、「ガスが切れたらどうしよう」といってファイヤースチールとナイフと火口を持ってみたり、結局バックアップにもバックアップが必要になるのだから、どこまでいっても「足りなく」なってしまい、荷物ばかりが増えることになる。
また、それらをまとめて置いておいたって、結局いざという時には思い出せないのだ。そしてコンビニでライターを買うことになるのだから、そのライターをカバンに1つ入れておいても同じことだろう。
バックアップは荷物を増やすだけだし、「いるかな〜」と思うものはだいたい使わない。だが、意外なものが必要だったりするのが災害時だ。
防災用品は「いかに減らすか」が鍵
つまるところ、防災用品は持てば持つほど、「重荷」になる上に、有事の際の一番大事な場面で「判断を鈍らせる」ことになる。買っただけで安心してしまうなんてこともあるし、重さそのものが怪我や死亡のリスクを高めてしまうのだ。
自分や自分の家族にとって「必要最低限」のラインをしっかりと見定め、実際に使ってみて練習をし、代用品を考えてみたりして、日頃から最低限ラインを「引き下げていく」ことが、結果的に防災意識を高めることにもなり「本当に役立つ」防災ができるようになるのだ。
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